
現代のサーファーがサーフトリップ中に
幕末にタイムスリップし、坂本龍馬や幕末の偉人と
波乗りを通じて、絆を深めて行くストーリーです。
まず小説にしていますがこれで決定ではありません
時間をかけてより良い作品にしていこうと思います
第1章 Blue Horizon 青と波のはじまり
青いペンキが、ゆっくりと壁に広がっていく。
刷毛の先が動くたび、塗料の液面には細かい泡が立ち、まるで海の中を漂うような感覚に包まれる。
青と白が、液体の境界でゆっくりとほどけ合い、まるで時間そのものが揺らいでいるかのようだった。
東京・神田の路地裏。
洒落たブティックの改装現場では、職人たちが黙々と作業を続けていた。
真白な壁に青いペンキを塗っている青年がいる。
坂本一馬(さかもとかずま)、二十六歳。
十六歳から波乗りを始め、頭の中は、いつもサーフィンでいっぱいだ。
ペンキ屋の息子で、家業を継ぐために修行中の身だ。
父が高知出身で、子どもの頃から「龍馬の子孫か?」とよくからかわれたが、
歴史を調べ、司馬遼太郎の本を読み、坂本 龍馬に憧れを抱いていった。
真青な壁が陽光を反射し、塗料の匂いがむっと立ちこめる。
うなるような蝉の声の中、親方が腰に手を当てて空を見上げた。
「よっしゃ、そろそろ昼だな。おーい、メシ行くぞー!」
その声に、一馬は笑って刷毛を置いた。
職人たちの声が一斉に弾んだ。
「ちぇーす、待ってましたー!」
汗まみれの顔に笑顔が広がり、作業場の空気が一気にゆるむ。
青い壁を見上げ、一馬は息をのんだ。
その青は、どこまでも深く――
まるで海の中へ、彼を誘うようだった。
◇
現場近くの定食屋。昼のざわめきに、ソースと油の匂いが混じっている。
この店の焼肉定食はボリューム満点で、職人たちのお気に入りだ。
親方と一馬、若い職人の達也の三人が、汗を拭きながらテーブルに腰を下ろした。
壁のテレビからは甲子園中継の声が響き、氷入りの水のグラスが汗をかいている。
一馬は新聞の天気図に目を凝らした。
台湾の南に、渦を巻いた気圧の線。
――これは来る。
胸の奥がざわつく。
「うわっ、出た! 台風! でかい! マジでやばい!」
「また始まったよ、このアナログ野郎が」達也が笑う。
「ほんと、この波乗りバカだけはどうしょーもねぇな」親方が苦笑する。
しばらくして、焼肉定食が運ばれてきた。
鉄板の上で肉がジュウと音を立て、香ばしい匂いが立ちのぼる。
「よっしゃ、食うぞー!」達也が箸を構えた。
一馬は新聞の天気図に目を落としたまま、動かない。
頭の中では、もう海の音がしていた。
夏の太陽と、青い波。
風の向きを読むように、彼の指が紙の上をなぞる。
焼肉定食が一馬の前に置かれた。
店員の手が一瞬、視界をかすめる。見上げると、素敵な女性。
可愛いな、と思ったけれど、すぐに天気図に戻った。
今の彼にとって、恋より波だ。
一馬はそっと新聞をたたみ、顔を上げた。
真剣な眼差しで、親方に向き直る。
「──あの、親方。お盆休みなんですけど」
親方は一瞬、怪訝な顔をした。
「また出たよ、そのおねだりモード!」
一馬はすぐに畳みかける。
「今日残業します! 明日から休ませてください!」
「バカ言え、明日昼から現場あるだろ!」
「……っすよね」
不満の息を吐き、箸を動かす。
完璧なうねりが来る。その予感だけが、一馬を熱くしていた。
そこへ、親方の携帯が鳴り、慌てて外へ出る。
「はっ? お盆明け? 延期? わかりました!」
戻ってきた親方が、顔をほころばせた。
「おい一馬、お前、マジでついてんな! 明日の現場延期だ!
今日頑張って、 明日から休みだ!」
「えっ、マジっすか!」達也が跳ね上がる。
一馬は、嬉しさが抑えきれず立ち上がった。
「よっしゃー!!」
心臓がドクンと鳴る。
台風の渦を描いた天気図が、まるで自分の胸の中を映しているようだった。
海が呼んでいる――そんな確信だけが全身を突き抜けた。
◇
同じころ、東京・丸の内。
ビルの谷間を汗だくで歩く男がいる。営業マン、瑞山仁(みずやまじん)、二十六歳。
一馬の幼馴染であり、大親友だ。二人で波乗りを始め、幾つもの海を旅してきた。
今は大手商社に勤めるエリートサラリーマンである。
「もしもし、あっ部長! はいっ、はい、いやそれがですね、
今日は契約取れませんでした……」
携帯を耳に当て、丁寧に頭を下げながら歩く仁。電話を切ると、舌打ちした。
「ちくしょー、あのハゲ、いつも偉そうに! オメーがやれってんだよ!」
一方そのころ、神田では昼食を終えた一馬が店を出て歩いていた。
ポケットから携帯を取り出し、仁に電話を掛ける。
仁はまた部長かと身構え、画面も見ずに出た。
「もしもしすいません、ん? なんだ一馬か、 どーした、 おー台風でしょ!
今回のコース最高じゃねぇ? お盆休みトリップ、波、絶対いいよ!
なに、お前、明日から休みになった?」
「おー、ラッキーでさー。お前も明日から休めよ。」
「俺はどうかなー。有休あるんだけど、いきなり一日早めるのはなぁー、
ハゲ部長がうざいんだよー まあ頑張ってみるよ。じゃ、後でな!」
仁は汗を拭きながらビルの間に消えていった。
──波が呼んでいる。ただ、それだけで、すべてが動き出す。
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第2章 RUN TO THE BLUE 青に向かって
夜。神田のアパート。
狭いワンルームに、古びた扇風機が低い音を立てて回っている。
壁際には、日焼けしたサーフィン雑誌が何冊も積まれ、
その背表紙が潮のように色褪せていた。
その隣には、ページの角が丸まった『竜馬がゆく』。
時間だけが止まったような部屋の中で、夢だけがまだ熱を持っていた。
一馬は作業着のままソファに沈み込み、
薄いカーテン越しに夜風を感じながら眠っていた。
夢の中では波が押し寄せている。
巨大なセットが迫り、ボードの先端が水面を切り裂く。心臓が高鳴り、
視界の端で光が弾けた――その瞬間。
「おい、一馬!」
ドアが勢いよく開く音に、夢が砕け散った。
そこに立っていたのは、キャップを後ろにかぶり、
ヒップホップ調のシャツに身を包んだ仁だった。
ラッパーような格好で、笑いながら入ってくる。
一馬は寝ぼけ眼のまま上体を起こし、頭をかきながら言った。
「お~仁、今すげえ波乗るとこだったぞ。いいとこで起こすなよ~」
「知んねーし、夢でも波乗りかよ」仁が笑いながら部屋の中を見回す。
雑然とした部屋の中、ボードケースと工具箱が同居しているのが、
いかにも一馬らしかった。
「それで休みどうなった?」一馬が期待を込めて尋ねる。
「上司で、俺に気があるおつぼねさんがいてさ。有休手続きしてくれたよ。
ただ今度、食事に行かなくちゃなんだけどさ」
一馬は顔をしかめて笑う。
「なんか、エロいなぁー」
「それよりどーする、どっから攻めようか? やっぱ九州かな、沖縄でもいいし」
仁は床に座り込み、バッグからスマホとペットボトルの水を取り出す。
一馬はソファの上で胡坐をかきながら、急に目を輝かせた。
「ダーツで決めようぜ!」
「古いよ、お前! 所ジョージか!」仁が吹き出す。
一馬は机の上に散らばった新聞をかき分け、日本地図を広げた。
青と緑が混ざった地図に、蛍光灯の光が反射している。
「じゃ、ワックス丸めて投げて、落ちたとこから一番近いポイントってのは、どうよ」
「いいじゃん、それ面白い!」
一馬はボードから古いサーフワックスをはがし、手のひらで丸める。
指先にほのかに香るパラフィンの匂いが、海の気配を呼び覚ます。
そして息を止め、勢いよく指で弾いた。
ワックスは宙を舞い、ゆっくりとスローモーションのように回転しながら
地図の上に、ぴたりと張りついた。
「なに! これ日本海じゃねーか。バカ、やり直せよ!」仁が叫ぶ。
「鳥取? 行ったことねーし、面白いじゃん。波情報見てみろよ」
仁がスマホを操作する指先に、画面の光が反射する。
「太平洋は沖縄で、まだ腰しかないな……おっ、日本海、胸肩だって。いいじゃん。
何この白兎海岸って?」
「因幡の白兎じゃね? 沖縄で腰じゃ台風のうねりまだ入ってないんだ。
鳥取行ってから四国に走ろうよ!」
一馬の声にはもう旅のリズムがあった。
波の話をしているだけで、心のエンジンが動き出す。
「いいね、いいねー。そうだ関西だったら、大阪のタカシどーしてんだろ?
誘ってみよーぜ」
「あのエロ大王かー。懐かしいね、電話してみろよ」
二人は笑いながら顔を見合わせた。
時計の針が深夜を過ぎても、部屋の中だけは真夏の光に満ちていた。
どこまでも青に向かって、彼らの心はもう走り出していた。
◇
大阪・戎橋。
グリコのネオンが川面に揺れ、観光客の笑い声が夜風に混じる。
湿った夏の空気には、串カツと香水の匂いが入り交じっていた。
その雑踏を抜けた先、雑居ビルの二階にある小さなBAR。
店内には古いスピーカーからマーヴィン・ゲイが流れ、
琥珀色の光がボトルを透かしている。
そのカウンターの内側で、グラスを磨きながら笑っている男がいた。
岡田隆(おかだたかし)、二十六歳。
茶髪を無造作に束ね、焼けた肌には海の匂いが残る。
昼はサーファー、夜はこの父親の店で働いている。
かつてハワイで一馬と仁に出会い、波の上で意気投合した仲だ。
カウンター越しに座る女の子を口説いている。
「なぁー、いつ一緒に海行ってくれるん? お盆休み行こうや」
女の子は唇を尖らせ、ストローをくるくると回す。
「えー、それって泊まりなん?」
「いや、二時頃店閉めて出て、朝方着くから、朝一サーフィンって感じかな~」
「なんか、怪しいなー」
「海はええでー。癒されるでー。帰りに温泉入って気持ちええし」
「ますます怪しいやん!」
隆は笑いながら頭をかいた。そのとき、ポケットの中で携帯が震える。
「ちょっと、ごめんな」
取り出して画面を見ると、そこには懐かしい名前。
「おー仁か! 久々やん、元気か!
……明日から来るん?サーフトリップ?ええやん!
白兎(しろうさぎ)?あほ、それ“はくと”海岸やっちゅーねん。」
電話の向こうの声を聞きながら、隆の目は無意識に遠くを見つめていた。
頭の中に、白い砂浜と波の音がよみがえる。
その一瞬だけ、街の喧騒が消え、心が海の匂いを思い出していた。
「……よっしゃ、付き合うわ。久々にセッションしたいし。朝一、伊丹までおいでや。」
電話を切ると、隆は笑顔で
「一緒に行こか?」
「絶対、無理!」
彼女は笑いながら顔をそむけた。隆も肩をすくめて笑う。
それでも、どこか嬉しそうだった。
窓の外では、グリコのネオンが風に揺れ、川面に光の筋を描いていた。
──夏の大阪ミナミは、まだまだ眠らない。
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第3章 Road to Tottori マイクロバスと青い風
翌朝。
まだ夏の朝靄が残る伊丹空港の駐車場。
駐車スペースの隅に、クラシックブルーの1967年製フォルクスワーゲン・マイクロバス が静かに佇んでいた。
ボディには年月の色が滲み、ルーフにはアロハキャリアと古いサーフボード。
まるで時代そのものを積み込んで、どこか遠くへ走り出そうとしているようだった。
その横で、隆がタオルで手を拭きながら車体を見上げる。
リーバイスのビンテージジーンズにOPのポロシャツ、足元はサンダル。
どこからどう見ても、古き良きカリフォルニアのサーファーそのものだ。
彼の笑みには、どこか自由な風があった。
周囲を見渡していると、スーツケースを転がしながら歩く女性の姿が目に入る。
隆はすかさず声をかけた。
「すいませーん。CAさんですよね? やっぱり綺麗なぁー」
女性は驚いたように振り返り、眉をひそめた。
「いいえ、違います」
「またまたー。今日はいい天気ですねー。今から海行くんですけど、鳥取、一緒に行きません?」
「無理です!」
「海はいいですよー、癒されますよー」
軽い調子で名刺を差し出す隆。女性は苦笑いしながら、それを受け取らずに足早に去っていった。
隆は肩をすくめ、ため息交じりに笑う。
ちょうどそのとき、後方から聞き慣れた声がした。
「おー! 久々やなー!」
振り返ると、一馬と仁が笑顔で手を振っていた。
大きなバッグとボードケースを抱え、まるで遠足前の子どものように浮き立っている。
三人は駐車場の真ん中で再会を喜び合い、サーファー流のシェイクハンドを交わした。
「相変わらず、エロ全開じゃん」仁が笑う。
「たよりにしてまっせ」仁の下手な関西弁に、隆が吹き出す。
「なんじゃそれ。ほな、行きまひょかー!」
三人は笑いながらマイクロバスへ歩いていった。
近づくほどに、その古びた車体が放つ存在感が際立ってくる。
「何っ、車あれなの? 超渋じゃんか!」一馬が感嘆の声をあげる。
「大丈夫なの? この暑い中」仁が半ば呆れ気味に言う。
隆は胸を張り、誇らしげに答えた。
「ウェーバーのツインキャブで、2000ccにボアアップしてるんや。オイルクーラーも2台積んでるからバッチリや。ショックも変えとるで」
「っていうか、この車、エアコンなしじゃね?」仁が顔をしかめる。
「自然の風にあたって行こうや。気持ちええで」
「おっ、おう……」仁は苦笑いで返した。
荷物を積み込み、キャリアにボードケースを括りつける。
潮風の代わりに、まだ朝の排気の匂いが漂っている。
隆が最後のチェックを終え、ふと視線を上げた瞬間、
通りすがる二人組の女の子に目を留めた。
「あっ、あの二人組、可愛い! ちょっと待ってて、すぐ戻るから!」
そう言うが早いか、隆は全力で駆け出した。
一馬と仁は顔を見合わせ、同時に吹き出す。
「変わってねぇな、あいつ」
「ほんと、ブレないわ」
二人は笑いながら車に乗り込んだ。
◇
鳥取へ向かう山道。
うねるカーブの連続を、古いワーゲンバスが唸り声をあげながら登っていく。
開け放たれた窓から、風が車内を突き抜ける。
夏の陽射しがフロントガラスを照らし、木漏れ日の影がバスのボディに踊った。
蝉の声が遠ざかるたびに、潮の匂いが少しずつ濃くなっていく。
助手席の一馬が顔を出した。
「波情報はどうなの?」
ハンドルを握る隆が答える。
「台風のうねりはまだやな。日本海は出来るみたいやで。肩ぐらいはあるんちゃうか。午前中に着けたら風もなくて、ええかもな」
「初めて行く所だし、楽しみだねー」仁が窓の外を見ながら呟く。
空は抜けるように青く、雲の縁が眩しいほどに光っていた。
一馬は風を受けながら言う。
「それでさ、太平洋側サイズアップしてきたら、四国に行きたいんだよ。桂浜、坂本龍馬像見たいんだよ」
隆が笑う。
「桂浜はサーフィンでけへんけどな。ところでお前ら、板、何持って来たん? 長いの持ってるん?」
「俺は5・11と6・6の二本」
「6・1と6・8の二本だね」と仁。
「そうか、なんとかなるかなー。四国、波でかなってヤバイと思うで。今回の台風」
「隆は長いの持ってるの?」
隆はニヤッと笑い、自分の股間を指さした。
「俺はこのマグナム一本で十分や!」
「ふっざけー!」仁が爆笑した。
笑い声がエンジン音に混ざり、山の向こうに消えていく。
◇
国道を抜けると、風の匂いが変わった。
潮の気配が濃くなり、開けた車窓の向こうに緑の田園と遠い水平線が見える。
隆が深く息を吸い込み、笑った。
「やっぱり、潮風は気持ちええのー」
「俺こんなの初めてだよ」仁が目を細める。
「いつもクーラーギンギンだもんな」一馬が笑う。
「体に悪いで、それ」
「普通だって、お前が変わってんだよ」
車内には笑い声が絶えない。
どこまでも続く一本道の先に、夏が広がっていた。
しばらく走ると、前方に青い看板が見えた。
「おっ、鳥取砂丘!」仁が指を差す。
「サーフィン出来ないの?」一馬が首を傾げる。
「いちおう出来るけど、メッチャ砂丘を歩かなあかんで~。波もええかどうか行ってみなわからんし。せやし人はほとんどいてない思うけどな」
「面白そーじゃん、観光兼ねて行ってみよーぜ!」
「いいねー」と仁がうなずく。
「サーフボードのフィンはずして、馬の背って砂丘の一番高いとこからビーチに滑り降りるの、おもろいで」
「いいね、いいねー」
「楽しそーじゃん!」
「よっしゃー、ほな行こかー」
ワーゲンバスは坂道を登っていく。
標識には〈鳥取砂丘〉の文字。
照りつける陽射しの下、エンジン音が高鳴る。
三人の胸も同じリズムで高鳴っていた。
風の匂いが、確かに夏の海へと変わっていく。
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第4章 Burning Summer Trip 砂丘ブルー 灼熱のトリップ
日本一の砂丘に到着すると、そこは観光客でごった返していた。
白い日差しが砂面を焦がし、照り返しの光が空気を歪ませる。
遠くからラクダの鳴き声と観光客の歓声が混じり合い、真夏の熱気が地面から立ち上っていた。
トランクスに着替えた三人は、サーフボードを抱えて駐車場を後にした。
カラフルなボードが太陽を反射し、観光客の視線を集める。
どこか気恥ずかしそうに、それでも胸を張って砂丘へと足を踏み入れる。
「すっげー、広いねー。ほんと砂漠じゃん、ラクダとかいるし」仁が笑う。
「っていうか、俺ら浮いてねえ? じろじろ見られるんだけど」一馬が苦笑いを浮かべた。
確かに、サーフボードを抱えて砂丘を歩く男たちなど、ここでは珍妙な光景だった。
隆が帽子を目深にかぶり、サンダルのまま砂を踏みしめる。
「こんなとこ板持って歩いてるやつ、そうおらんしなぁ。とりあえず最短距離で海まで行こや。こっちや、よし、頑張ろか!」
真っ青な空の下、三人は焼けるような砂を登りはじめた。
一歩進むたびに足が沈み、サンダルの下で砂が熱をもって鳴いた。
風が吹くたびに砂が舞い、頬を刺す。額から汗が滝のように流れ落ちる。
息が荒くなり、笑いも途切れがちになったころ、ようやく頂上が見えてきた。
そして――。
そこに広がる景色に、三人は息を呑んだ。
眼下に広がるのは、真っ青な日本海。
陽光を受けて水面が銀色にきらめき、砂丘の稜線と溶け合っていた。
どこまでも続く水平線が、まるで別世界のようで、美しかった。
「うわー、すっげー綺麗じゃん! しかも風波だけど波あるし、誰もいないよ!」
「最高じゃん!」仁が声を上げる。
隆は肩で息をしながらも、満足げにうなずいた。
「頑張って歩いたかいあったなぁ。よっしゃー、こっから砂丘サーフィンで下のビーチまで降りよかー!」
砂の斜面を見下ろしながら、隆がニヤリと笑う。
その顔は少年そのものだった。
先陣を切った隆が叫ぶ。
「おりゃー!」
勢いよく砂の斜面に飛び出した。
だが次の瞬間――サーフボードが砂に引っ掛かり、派手に前転。
砂煙がもうもうと舞い上がり、その中から隆が立ち上がる。
髪の毛も口の中も砂まみれのまま、頭をかきながら言った。
「これ、悪い見本な!」
一馬と仁が腹を抱えて笑う。
その笑いに背中を押されるように、二人も次々と滑り出した。
何度も転び、砂まみれになりながら、声を上げて笑った。
灼ける砂の匂いと、潮の匂いが混ざり合う。
ようやく三人はビーチに辿り着いた。
汗と砂で全身が重く、息が上がっている。
「暑いー!」
「死ぬー!」
「水、水!」
隆がペットボトルを取り出して一気に飲み干す。
仁と一馬も水をがぶ飲み。
サーフボードにフィンを付け、三人はほとんど同時に走り出した。
砂を蹴り上げ、海へ一直線。
波が足を包み、潮の冷たさが一瞬で体を貫く。
「ヒュー!」
「イェー!」
「おりゃー!」
歓声が響き、飛沫が宙に舞う。
貸切状態のビーチ。チョッピーながらも胸ほどの波が規則正しく割れている。
順番にテイクオフして波を滑り抜けるたび、笑い声が風にさらわれていく。
「たまんねー、最高!」仁が叫ぶ。
「ワックスの旅、バッチリじゃん!」一馬が応える。
太陽の光が波頭に砕け、キラキラと眩しく跳ねた。
三人のシルエットが、青の世界の中を自由に走っていく。
サーフィンを終えた三人は砂浜に上がり、降りてきた砂丘を見上げた。
砂丘が巨大な壁のようにそびえている。
「これ、戻んの?」一馬が呆れ声を上げる。
「死んじゃうよ!」仁が笑う。
「人生、楽ありゃー、苦もあるさー」
隆が鼻歌まじりに〈水戸黄門〉のテーマを口ずさむ。
灼けるような砂の上に、三人の影が長く伸びた。
笑い声だけが、いつまでも海に溶けていった。
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第5章 Easy Riders of Summer のんびり行こうぜ俺たち
国道沿い、海の見えるレストラン。
窓の向こうには穏やかな波がきらめき、潮の香りが風に乗って店内へ流れ込んでくる。
午後の光が白いテーブルクロスを照らし、ステンレスのカトラリーが鈍く光った。
「いらっしゃいませー」
笑顔で声をかけてきたのは、エプロン姿の若い女の子。
まだ学生のようなあどけなさが残る。
隆がその声に反応し、さっそく満面の笑みを浮かべた。
「おう、久しぶり、元気?」
女の子はキョトンと首をかしげる。
「俺やん、忘れたん?」
さらに困惑の色を濃くする彼女に、隆は勝手に話を進める。
「まぁええわ。今日のサービスランチ、何?」
「海鮮丼です」
「おっ、ええやん。じゃ、それ三つ。」
女の子は苦笑しながら奥へと注文を通していった。
三人は窓際のテーブル席に腰を下ろす。潮風がレースのカーテンを揺らす。
「今の子、可愛いじゃん。何お前、知り合いなの?」仁が茶化すように言った。
「いや初めてやで」隆があっさりと言い放つ。
「なんじゃそれ」仁は呆れ顔で肩をすくめた。
一馬は新聞を広げ、ページの隅にある天気図を指でなぞる。
三人の視線が自然とそこに吸い寄せられた。
「おー! でかい! 九百二十ヘクトパスカルだよ! はんぱない!」仁が叫ぶ。
「これは久々の大ヒットちゃうか!」隆も身を乗り出す。
「うわー、なんか緊張してきちゃったよ」
「明日から台風のうねりガンガン入りそうやな」
「じゃ、早速行っちゃおうよ。四国まで遠いんでしょ?」
「まあ、のんびり行こうや」
そこへ、注文した海鮮丼が運ばれてくる。
色鮮やかなマグロと甘エビ、炙りサーモンの香りが、瞬く間に食欲を刺激した。
「お待たせしました」
女の子がそっとテーブルに並べようとした瞬間、隆が素早く立ち上がった。
「可愛いなー! 重いやろ、俺持ったるわ」
「大丈夫です!」
女の子は少し慌てたように笑い、丼をテーブルに置いた。
「いやほんま可愛いわ。大阪に行く事とかあるん?」
「友達いるから、たまに」
「まじで! ほな俺、ミナミでバーやってるから、遊びに来てよ」
隆はポケットから名刺を取り出して渡す。
「一杯ぐらいごちそうするし、友達とおいでな」
「……」
女の子は困ったように微笑み、軽く会釈して去っていった。
一馬と仁は顔を見合わせ、同時に苦笑する。
◇
高速道路。
灼けるようなアスファルトの上を、ワーゲンバスが唸りを上げて走っていく。
ボディが陽光を反射し、夏の空気を切り裂いて進む。
運転席には隆。
後部のベッドシートでは、一馬と仁が疲れ切って爆睡していた。
窓の外には緑の山並みと青い空。
遠くに入道雲がもくもくと湧き上がっている。
ハンドルを片手で操りながら、隆はミラー越しに声をかけた。
「おーい、そろそろ起きて、運転変わってや」
「ここ、どこ?」一馬が目をこすりながら起き上がる。
「ちょうど四国まで半分ぐらいのとこやわ」
「じゃ、俺運転するよ」
「ここでなんか食べ物ゲットして行こうよ」仁が提案した。
三人が車を降りると、太陽の光が照りつけるサービスエリア。
隣には巨大なアメリカンキャンピングカーが停まっていた。
銀色の車体に映る空が眩しい。
小さな女の子を連れたサーファー家族が、ちょうど戻ってくるところだった。
父親は日に焼けた笑顔の似合う男前。
母親はナチュラルなワンピース姿で、女優のように美しかった。
娘はアイスを両手で持ち、無邪気に笑っている。
「梨ソフトクリーム、美味しい?」
「うん!」
その穏やかな声を聞きながら、一馬が小さくつぶやく。
「おしゃれな家族だね」
一馬の声には、淡い憧れが滲んでいた。
家族三人が笑い合いながら車へ戻っていく。
父親の肩に寄り添う母親、手をつなぐ小さな娘――
その光景が、まるで映画のワンシーンのようにまぶしかった。
仁は腕を組み、少し眩しそうにその姿を見つめる。
「理想のスタイルでしょ、憧れるよね〜」
彼の声はいつもより静かで、風に混じって少し遠くへ流れていった。
その瞬間、二人の胸の奥に、まだ見ぬ“未来”の輪郭がそっと浮かんだ。
三人はしばらくそれぞれの時間を過ごした。
仁は地元の特産品コーナーで土産を物色し、
一馬はCDラックの前で手を止めていた。
隆は案の定、売店のレジ近くで女の子に声をかけ、名刺を渡していた。
夕方の陽が傾き始め、再びワーゲンバスに戻る。
エンジンの低い音が車内に響いた。
「俺ちょっと寝るから、とりあえず明石海峡大橋渡って、淡路島通って、四国の鳴門で高速降りたら徳島駅目指してくれるか。ググったら行けるやろ。お盆で祭りやってるし、せっかくやから阿波踊りでも見て行こうや」
「いいねー!」仁が笑顔で頷いた。
一馬はサービスエリアで買ったCDを取り出す。
「こんなの買っちゃったよ」
「なにそれ、知らねーし」
「なんか、ピンと来たんだよね」
ポータブルプレーヤーにディスクを入れる。
数秒の静寂のあと、軽快なギターとリズムが流れ出した。
スピーカーからこぼれる歌声――「のんびり行こうぜ俺たち」。
夕焼け色に染まる高速道路を、ワーゲンバスがゆっくりと南へ走る。
車窓の外では、太陽が山へ沈もうとしていた。
その光の中を、彼らの笑い声と音楽だけが、いつまでも響いていた。
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第6章 Rhythm of Destiny 阿波の夜 運命のリズム
徳島の田舎道を、赤いアウディ・ステーションワゴンが走っていた。
満月の光を浴びて、ボンネットが銀色に輝く。
窓を少し開けると、潮の香りと稲の青い匂いが混ざり合い、夜風がそっと髪を揺らした。
ハンドルを握るのは浴衣姿の女性――中浜茜(なかはまあかね)、二十三歳。
普段は地元の会社で事務職をしているが、週末は海に通うサーファーガールだ。
波と風を追いかけて四年目。日に焼けた細い腕には、海の時間が刻まれていた。
彼女はハンドルを軽く切りながら、微笑んだ。
「今年も、祭りの夜か――」
やがて車は町はずれの住宅街へ。
玄関の明かりがぽっと灯る。
「こんばんはー」
ドアを開けた瞬間、明るい声が迎える。
「あら、茜ちゃん、可愛い浴衣着てー、相変わらずべっぴんさんやねぇ」
「おばさんもいつも綺麗ですぅ」
「またまたー、嬉しいこと言うてくれるわぁ。あの子、また用意遅いのよー。まあ、上がって」
二階からレゲエミュージックが漏れてくる。
階段を上ると、ハワイアン調のインテリアに囲まれた部屋。
鏡台の前でメイクをしているのは、平井マリ(ひらいまり)、二十三歳。
母のブティックを手伝いながら、ファッションにも波にも敏感な快活な女性だ。
茜の大親友で、いつも一緒にサーフィンをしている。
「あんた、また気合い入ってるなぁ。今年もどーせ、出会いなんかないってぇ」
マリは笑いながら立ち上がり、浴衣の裾をひらりと回して見せる。
「と言いながら、私も浴衣作ったんやけど、どう? 可愛いやろ?」
「もう、なによ。マリの方が気合い入ってるやん」
鏡の前で二人は並び、互いの帯を直しながら笑い合う。
窓の外には、遠くで響く祭囃子。
夏の夜は、すでにどこか浮き立っていた。
「茜、今日からうち泊まるやろ? 明日波ありそうやし、朝から行こな!」
その笑顔は、祭りの夜のように明るくて、どこか弾んでいる。
「うん、車に全部積んできたよ。でも台風来てるし、あんまり波大きかったら嫌やなぁ」
茜はスマホで波情報のアプリを開きながら、少し眉をひそめた。
外の駐車場には、赤いアウディが月明かりを受けて光っている。
中にはボードケース、フィン、タオル、ワックスがきっちり収まっていた。
準備万端――けれど、どこか胸の奥に小さな不安が残っている。
「明日はまだ大丈夫ちゃう?」
マリは帯を締め直しながら、窓の外をちらりと見た。
風が少し強くなり、カーテンがふわりと揺れる。
その揺れすら、これから始まる夏の冒険の前触れのようだった。
ピンポーン――玄関のチャイムが鳴る。
「あっ、タクシー来たわ。ほな気をつけて行ってらっしゃい」
「行ってきまーす!」
二人は笑いながら外へ出る。
夜風が浴衣の裾を揺らし、金魚の模様が月明かりに浮かんだ。
タクシーは走り出し、ライトが田んぼ道を照らす。
車窓の外には、阿波踊りの提灯の光が遠くに揺れていた。
◇
「踊るアホウに見るアホウ、同じアホなら踊らなそんそん!」
夜空を揺らす掛け声。
徳島駅前の通りは、人、人、人――。
提灯の赤と白が幾重にも連なり、太鼓と鉦の音が熱気を押し上げていた。
「今年も凄い人やねぇ」マリが目を丸くする。
「うわ、金魚すくい」
「やろやろー! 今年は私勝つよ」
「おじさん、二人お願いします!」
二人はしゃがみ込み、ポイを手に金魚を追う。
水面に映る灯りが揺れ、二人の笑顔を赤く染めた。
そのすぐ隣では、別の熱戦が繰り広げられていた。
「ちっくしょー、ちょこまか逃げやがってー。なんやねん、徳島ラーメン賭かってんのに、やばいって!」
隆が声を張り上げる。
「お前もうそれ、ほとんど破けてんじゃん」仁が笑い、横で一馬が黙々と金魚をすくい上げていた。
「隆、ラーメンよろしくな」
「ちぇっ!」
茜はふとそのやりとりに目を向けた。
日焼けした顔に、少年のような笑みを浮かべる一馬が、ポイを手に笑っている。
目が合った瞬間、茜は胸がどきりと跳ね、慌てて視線をそらした。
「自分ら、えらいべっぴんさんやなー。この辺地元なん?」隆がすかさず声をかける。
太鼓の音が響く中、隆は屋台の灯りに照らされて目を細めた。軽い口調の奥に、どこか人懐っこい笑みが浮かぶ。
「は、はい」茜が戸惑いながら答える。
マリはちらっと見て、すぐに顔を背ける。
わざと無視するようにポイを水に沈め、軽くため息をついた。
「俺大阪やねんけど、こいつら東京から来てんねん。案内したってくれへん?」
隆は悪びれもせず笑いながら、祭りの喧騒の中で軽く手を振る。横では仁と一馬が苦笑して見守っていた。
「おっちゃん、ありがとう」マリは立ち上がり、茜の手を取った。
その仕草はきっぱりとしていて、どこか姉貴分の風格があった。
「行こ」
マリが人混みの中へ踏み出すと、浴衣の帯飾りがふわりと揺れる。
茜は一瞬だけ振り返って一馬を見たが、すぐに顔をそむけた。
夜風に混じって、太鼓の音がまた高鳴った。
背後で隆がため息混じりにぼやく。
「あの子ら可愛かったなー、ちょっと日焼けしてるし、サーファーちゃうか? ちくしょー、惜しいのー。なんやねん、金魚も女も、あかんかー」
夜風が熱気を攫い、空にはうっすらと月が滲んでいる。
笑い声と鉦の音が交じり合い、祭りのリズムが街を包み込んでいく。
その灯りの下で、まだ誰も知らない運命が、静かに動き出していた
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