SURF FOOD

サーフフードとは?
日本のインディーズサーフィンビデオの先駆け!
1994年から撮影開始され、
現在まで44タイトルの作品をリリースしている。
独自の芝居やコントシーンを取り入れたメッセッージ性のある作品スタイルで、
常に新鮮な映像を提供し続けている。
カリフォルニア、ニューポートビーチで生活していた
日本人サーファー江川弘巳が
様々な出会いの中から自然と映像の世界に導かれていった。
最初に出会ったのはこの人
スーパーヒーロー  ケリースレーター
1991年5月、ニューポートビーチ56ストリート
オンザビーチハウスで生活していた頃
誰も入っていないダブルオーバーでジャンククローズの日
家の前に車を停め、一人のサーファーが海に入り
信じられないチューブを何回もメイク!
興奮しておもわず、上がって来たその人に声をかけたら
それが19歳のケリーだった。
これが彼のプロデビューの年で数々の伝説を築き上げて行く。
そして次に出会ったのがこの人

俳優  真木蔵人
1991年10月、オレンジカウンティアーバイン、在米日本人が集まった
クラブパーティーで韓国人と乱闘騒ぎになった夜に出会った。
北野武監督作品、あの夏いちばん静かな海に主演し、
宮沢りえ、西田ひかる等とドラマ共演するなど、
人気絶頂期にスパッと芸能活動を休止し
若い時のカリフォルニアでの経験を優先していた。
当時サンディエゴ、ミッションビーチで暮らしていた彼は
知り合ってすぐニューポートに来てサーフィン合宿
1日5ラウンドはこなすハー ドなサーファーだった!
サーフフードの名付け親で、映像を見て食べ物のように
栄養をつけて欲しいという意味合いからだった。
サーフフードシリーズでジャンクラウドマキナカと名乗り
監督、主演をこなしてくれていた。
1972年生まれ同い年のこの二人には
本当にいろんな意味で刺激を受け、
たくさんの協力、いつも感謝しています
そして忘れてならないのはこの人
ハワイカウアイ島出身の元CTサーファー
カイポハキアス
コンテスト参戦でカリフォルニアに来ていた彼とアイザックカネシロを
蔵人の友人チャゲがサンディエゴから泊めてあげて欲しいと
連れて来たのが始まりだった。
その後いろんな所を一緒に旅し、彼のおかげでサニーガルシアやデレックホー、
トムカレン、シェーンベッシェン、テイラーノックス、カラニロブ等の
トッププロと知り合う事ができ大感謝である。
そして当時カリフォルニアによく来ていた
工藤吉尚、進藤晃、脇田貴之、今村大介、今村厚、飯田和史、
原田泰三、大山利郎、宮内健司、植田昌宏、
木本直哉,
糟谷修司、福地孝行、沼尻和則、牛腰峰統など
様々なサーファーと知り合い、
たまに趣味で回していたビデオを本格的に撮影して行く事になる
すべてのプロサーファーに感謝し
1995年にリリースされた処女作
SURF FOOD vol.1 (Where is my food?)
全てはこの作品から始まった。
アメリカのランチボックスによく使われる紙ペーパーバッグに
無造作にVHSテープとステッカーを入れ
ホッチキスで止めるといったインディーズらしい
斬新なパッケージである。
詳しい内容は作品紹介のページで
チェックしてください。